失恋
自担の誕生日翌日、私は6回目の失恋をした。再び、勝手に、同じ人に。何と馬鹿な生き物か。
こう見えて?いや見えるままかもしれないが、普段頭の片隅にあり近年足を踏み入れなくなった世界に爪先一歩でも入ると一途だ。上品な表現ではないがクソが付く程めんどくさい一途だ。言い換えれば重い。失くしたハートを追いかけるのは疲れたと散々言いながらも、ステージという言わば非現実的な世界に立つ人々を見返りも何も求めず追いかけ(幻想的な恋をし)続ける生活こそが日常になったばかりに、こちらの方面にその癖が出てきているようにも思える。
夢は見続けてこそ夢。夢に憧れて、夢を見て、夢に入る前にわくわくして、極楽浄土な夢の中にいるこの順序が至高なのに、6回も失恋して、全く夢がないではないか。ロマンは石田先生作品で充分足りている。いや、この言い方だと石田先生に大変失礼だ。2回3回ならまだしも、6回までいくとロマンがない。まず、ロマンなど存在するか?まず、ロマンとは何か?
>小説のように変化に富み、かつ甘美な筋をもった出来事。
>伝奇的空想的な要素をもつ物語。
ロマンスに当てはまらないッ!!
私の(失)恋に甘美的な要素はもうない。4年前に呆気なく消えていった。ロマンも夢も私の失恋にはないのだ。人生において割と無意味なのだ。夢を食べて夢で眠っているような夢好きの女がそんなことを繰り返していては、夢の価値がなくなる。それは私が1番恐れることだ。夢の価値はその後の自分自身によって決まる。
終わりのない恋なんて流行歌の絵空事 振り返ればいつの日かセピア色の思い出
それが人生。私もシャロンのような女性になりたい。常日頃意識はしていないものの、馬鹿な男を好きで居続ける女はもっと馬鹿だ。馬鹿な女に成り下がりたくはない。
以上、羞恥記事でした。
*1:「青い鳥を捜して」という作品より抜粋